(1)達弥西心のわかりやすい話「決断」

達弥西心のわかりやすい話「決断」

●ひとつ決意をするたびに - HMU 達弥西心

うまくいかなかったとき、思わず「できなかった」と言います。できなかったのではなく、「やらなかった」のではありませんか。

できなかった理由は山ほどあります。たいてい自分以外のまわりのせいです。やらなかったのは他の誰でもなく、自分です。できなかった本当の理由はたった一つです。その本当の理由を私たちはよく知っています。自分がやらなかったのです。


うまくできたときの理由だけは、いつもたった一つです。自分が最後までやり通したからです。

すべて結果は自分の責任です。自分が決意したことの結果です。

ひとつひとつ自分のこととして決着していくことです。ひとつ決着するたびに、そこから次のステップへと成長できるのです。


ふと責任転嫁の癖が頭をもたげてきたとき、できなかったのか、やらなかったのか、自分自身のこころに問うてみることです。

HMU 達弥西心

●決意とはどちらか一つを切って捨てること - HMU 達弥西心

決意とは意志を決めることです。意志を決めれば行動は決まります。行動が決まれば結果は決まります。

決意というと、二つのうちの一つを選択することだと思いがちです。しかし、決意とはどちらか一方を切って捨てることです。何かを捨てることで、何かを得ることです。決意は決断です。きっぱりと一つに決めてしまうことです。


二つに一つの決断を迫られたとします。

かならずどちらか一つを選択します。選択しなかったもう一つの方は、たいてい温存しておくことになります。

温存しておくから、選択したはずの一方が少しうまく行かなくなると、とたんに迷いが出てきます。やっぱりあっちではなかったかなと、自分の選択に自信が持てなくなります。こうなると、もう最初の苦悩状態に逆戻りです。


決意とは、何がなんでもとりあえず一つに絞り込むことです。他のすべての選択の道を切って捨てることです。きっぱりと決別することです。

いくつかの道からただ一つの道を選ぶこと。二つを一つに絞り込むこと。
これはたいへんな作業ですが、一つ一つ決着していくことは、人間としての大事な習慣です。切って捨てたもう一つは、自分には縁がなかったのだと割り切ることです。
迷うのが人間だよ、迷う方が人間らしくていいじゃないかと言われても、苦しむのは自分自身です。

HMU 達弥西心

●決別のすすめ 立志のすすめ - HMU 達弥西心

たった一人でこの世に生まれて、たった一人でこの世を去っていく。人生のはじまりも一人で、最後も一人なら、たった一人でも生きていけそうなものですが、これがなかなかできません。人間はいつの間にかとてもさびしがり屋になってしまいました。
それでも、誰もが自由に生きていたいと思っているのです。自分は自分なりに生きていくんだと、こころに決めています。
一人で生きていくことと、自由に生きていくこと。どこがどう違うのでしょうか。

ある人が、あなたの立つ位置はそこじゃないもっと右だよ、と教えてくれます。すると今度は別の人が、いやそこじゃないもっと左だ、と言い出します。さらに、別の人が違う違うもっと後ろの方だ、と言います。
まわりの人の言うことで自分の立つ位置や、生き方を決めるとき、とても不自由を感じます。強い束縛感を感じます。でも、自分を束縛しているのは、まわりの人たちではありません。自分の立つ位置を自分で決めることができない、自分自身のこころがそうさせているのです。
自由に生きるということは、自分の立つ位置は自分で決めるということです。自分の人生は自分の足で立って、自分の足で歩いていくのです。つまり、一人で決めて、一人で生きていくのです。
一人で生きていくことと、自由に生きていくことは、まったく同じことなのです。
一人で生きていくことの決意、自由に生きていくことの決意。自分で決めるのです。決意するのです。

決意の前には、決別が必要です。まとわりつくすべてのものに決別できたとき、はじめて私たちはほんとうの意味で決意することができるのです。決別も決意も自分自身のこころの中だけのことです。

自立は自活のことではありません。独立とも違います。自立できなければ、自活も独立もできません。
自分のことは自分で決めるという精神面、自分の生活に関する費用は一人で稼ぐという経済面、人間関係を友好的に保ちながらも一人で立つという社会生活面、そのほか健康面、家庭生活面、教養面、あらゆる分野において自分の足で立つということが、自立するということの意味です。

決別とは、昨日までの自分の生き方に別れを告げるということです。
まとわりつくいろんな思いがあるでしょう。自立するためにはどうしても切って捨てなければならない思いがあるでしょう。背負っていくこころの荷物をすっかり軽くするのです。惜しい、もったいない、せっかくここまでやったのに、やっぱり気にかかる。こころがずっしり重たくなるような、そんな荷物をいったん捨ててしまうのです。

立志とは、めざす目的をしっかりと定めることです。その目的に通じる道をしっかりと定めることです。
どうして一人で生きていくことを決意したのか、どうして自由に生きることを決意したのかと問われれば、たった一言で答えられるはずです。それが自分にとって価値ある目的だからです。
自分の目的は、自分にとって価値がありさえすれば、それで充分なのです。

自分の自由は自分にしか分かりません。自分の自由は自分だけのものです。一人で生きていくことを決意する、本当の胸のうちは、自分にしか分かりません。分かるはずもありません。

人間はそもそも一人で一個です。一人が人間の最小かつ最大の単位です。人間はひとり歩きするようにつくられているのです。ひとり歩きすることが出来るものが、人間なのです。

達弥西心

●誰も知らないこころの中で - HMU 達弥西心

私たちのこころの中は、まわりの人には見えません。自分が何を思い、何を考えているかは、誰にも分かりません。
しかし、自分自身のこころの中を、自分はよく分かっています。そのとき何を考え、何を思い、どう決意したか、どうしようと思っていたか、ほんとうの自分はこうしたいというのに違う方を選んだとか。
自分にはよく分かっているはずです。
よく分かっているのですから、その結果がどうなるのかもよく分かっているはずです。
どう決意したら、どうなるのか。どう決意したから、こうなったのか。

私たちがみるその結果は、私たちの決意からつながっています。
誰も知らない、目に見えないこころの中でどんどん原因はつくり出され、つぎつぎに目に見えるかたちで結果が引き起こされています。
私たちは、その原因をつくり出すプロセスの一部始終を知っています。知っているというより、原因は私たち自身がつくり出しているのですから、百も承知しているのです。

さて、少し見方をかえてみます。
煙草の吸いがらの投げ捨て、空き缶の投げ捨ては、いくら呼びかけても、どんなにクリーン作戦を展開しても、なかなかなくなりません。路上はあたかもゴミ捨て場のように紙くず、ビニールゴミまでも捨てられています。

煙草の吸いがらを投げ捨てる人、空き缶を投げ捨てる人は、投げ捨てる瞬間に、こころのどこかがチクリと痛みはしなかったでしょうか。投げ捨てた瞬間、こころは晴れやかだったでしょうか。
誰にも見えないはずのこころの中のことなのに、どうしてチクリと痛かったり、どうして晴れやかな気分になれなかったりするのでしょうか。

もしも、私たちが投げ捨てはいけないことだと分かっていて、それでも投げ捨てたとして、それをじっと見ている誰かがいたとして、それがいけないことだと警告するために、こころのどこかをチクリと痛めたり、こころを晴れない気分にしているのであれば、これは一大事です。

どうして投げ捨てる?
これくらいのこと、たいしたことじゃない。めんどうだし、ゴミ箱は近くにない。
その投げ捨てられた吸い殻や空き缶を誰かが片付けることを知っています。自分以外の誰かが片付けることになることを知っています。要するに、自分で片付けなくても良い、ということだけが分かっているのです。そして見事に、割り切ります、たいしたことじゃないと。

もしも、私たちが投げ捨てた空き缶や紙くずが、家に帰って玄関に入ると、自分が捨てた分が何十倍にもなって積み上げられていたら、それが宇宙の法則だとすると、これは一大事です。

私たちが空き缶を投げ捨てても、とがめる人はいないでしょう。
しかし、私たちが投げ捨てた瞬間、もっと正確にいうと、投げ捨てようとこころの中で決意した瞬間に、投げ捨ててはいけないと分かっていながらそれを実行したという理由で、私たちの人生の生き方評価に大きなマイナス点が加算されているとしたら、これは一大事です。
昔の人は、よくいったものです。お天道様がみていらっしゃる。お天道様はお見通しじゃ。

達弥西心

●浸ってなんかいられない - HMU 達弥西心

ふと悲しくなる瞬間、誰にもあると思う。その悲しみをそのままにそれでもがんばっていこうとする人がいる。私はそのたびに、吹っ切って気持ちを陽転させてきた。晴れ、雨、曇り。天気も次々変わっていくのだから、浸ってなんかいられない。人生だぞ。
達弥西心

●継続 - HMU 達弥西心

「継続」を誓ったことは、何かを始める前に、一日の始まりに、いの一番に済ませることだ。何かをしたあとで、一日のおしまいに、などと優先順位を繰り下げると、継続の達成が困難になる。すべきことはまず一番に。
達弥西心

●人生の終わりに - HMU 達弥西心

人生の終わりにすべきことはたったひとつ、与えること。奪うこと、得ることに終始した人生の終わりにすべきことは、奪った、得たそのすべてを放すこと、放りだすこと、他に与えることだろう。そう。人生の最終目的は与えることなのだ。ならば人生を与えることだけで貫き通すのもいいじゃないか。
達弥西心

●切って捨てる - HMU 達弥西心

決断とは、一方を切って捨てること。振り返らないこと。選ぶのではなく、捨てるのだ。切って捨てて、残ったものが、あなたが生きていく道。
達弥西心

●一本の道 - HMU 達弥西心

夏が終わってゆく。秋に入ってゆく。秋が終わってゆく。冬に入ってゆく。人生の季節も同じよう。たどる道はそんなにいくつもない。ただ一本の道が目の前にまっすぐに延びていたなら、そしてその道しかみえなくても、それがあなたの道。あなたが決めた道。

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