抱えている問題は生きている間にしか片付けることはできません。この世を去ってしまったら片付けることができなくなるのです。片付けられなかった、で、おしまいになるでしょうか。

「いつ人生の終わりが来ても構わない。死んでしまえばそれまでよ」と、自分の抱えている問題もこの世を去っていくときには消えてしまうと思い込んでいる人がいますが、消えてしまうでしょうか。

問題解決はいま生きている内の、できるだけ早いほうがよいに決まっています。

加えて、ほとんどの人はいつ自分の人生の終わりが来るかあらかじめ知ることができない仕組みになっているのですから、問題を片付けるのは一日でも早いほうがよいに決まっています。

思い残しのない人生を送りたいものです。

さて、その抱えている問題をどうするかです。その問題を一つひとつ、しっかりMAO(自分自身との会話)して片付けていくことです。ときとして、目に見えない問題を片付けるのに、目に見えるモノに託すこともあるでしょう。

そうです。この世に存在する「モノ」は、もちろん人間として生きていくための道具でもありますが、それ以上にこころを磨くという生き方に転換していくためのきっかけをつくるもの、でもあるのです。

目に見えるモノは、目に見えない世界(おもい)を知らせるために存在しているのです。あるべき生き方に出会い、あるべき生き方に気づき、あるべき生き方に転換していく。モノがそのきっかけとなるのであれば、実に素晴らしいことです。

人が単なる人で終わりたくないように、モノも単なるモノで終わりたくないのです。

そういう意味では、世の中には「道具として人の役に立つような、しかし単なるモノではないもの」もたくさんあるはずです。

私たちは、その「単なるモノではないもの」に出会うたびに、こころを磨いていかなければ、本当の意味でモノを活かすことにはならないということに、気づいていただきたいのです。